本は借りるのではなく買おう、さもなくば街に出よう。

 僕は大抵、目に付けた本は、買うことにしています。

 今年に入ってからも、恐らく50冊以上はAmazonを経由して本を購入しているでしょう(そのほとんどが中古本なので総額自体は大したものではないですが)。本に対する情報を得たら、その内容を点検して、買うべきだと判断したら必ず買う。そこに「借りる」という選択肢は存在しません。

 よっぽどの高価な本であったり、閲するべき部分が一部である本の場合なら、さすがに購入するのを控えますが(あと単純にお金が無い時)、大抵の、買うと決めた本は必ず買う様にしています。

 これは複数の著作家の言葉をずっと大昔に、恐らく高校生の頃に真に受けて、それを頑なに守り続けているからですが、その「複数の著作家」が主張した、「何故本は借りてはいけないのか。なるべく買うべきなのか。」の理由を、実はと言うと今は完全に失念してしまっています。つまり理由が失われて慣習だけが残っている、伝統儀礼の様な状態になってしまっているのです。ずーっと昔に思い立って、今では完全に「クセ」になっている、という事ですね。だったら、そろそろ辞めてもいいんじゃないか。

 しかし思うのです。やはり「本は借りるのではなく、買うべき」なのだと。買わないのはもちろん、借りる事さえも、それは必ず「何か」を欠落させてしまう行為なのだと。

 失われた根拠を埋めるべく、2、3点個人的な私見を述べてみましょう。

  

 まず「買う」事以上に、「借りる」事のデメリットを考えてみましょう。本が「借り物」の場合、その本は公共物(もしくは他者の物)であり、読む事以外、何も作用を加えてはいけない事になりますよね。これは当然だ、と思われるかもしれませんが、実はかなりの痛手を被っていることになります。すなわち「書き込む事ができない」という事。

 本に対して「書き込み」ができないというのは、自分の思考の反応感度を実体化できない、という事だと思います。本の中のどの文章に対してどのような気づきを得たか、大事な論点だと思ったか、これを明確にしておく事はとても大事。本は一過性で読むだけでなく、後で参照するものなので、この様に目印を作る事はとても重要です。

 さらに、そうして、たくさんの書き込みに溢れた本の中には、他人からは見えない「履歴」の様なものが確かに残ります。自分がこの本に対して、ある一定期間の中でどのように、どれだけコミットしたか、その段階の過程がなんとなく分かるのです。これはちょっと分かりにくい表現ですが、「自分の頭の中でその本をどのように「編集」していったか、その作業過程が残る」と言ってもいいでしょうか。

 

 そして、これはちょっと逆説的で面白い視点ですが、私有の本が無いと、「積ん読が作れない」という事でもあると思います。

 個人的な事を正直に言いますと、冒頭で、今年に入って50冊以上買った、というような壮語をしてしまいましたが、多分その半分も読破できていません。さらに今年の本だけでなく、一年前、二年前…と、昔買った本にも読めていないのがたくさんあります。積ん読の山ができてしまっているんですね。

 通常、積ん読は決して歓迎されるようなシチュエーションとは見なされません。怠慢、先延ばし、無駄遣い…と、そのような行動パターンの文脈から捉えられる事が多いです。

 しかし、本をどんなに積もうと、「読む時には必ず読む」のです。最近とある本をやっと読了しましたが、それは確か半年前くらいに買った本でした。「なぜ買ってすぐ読まないんだ」と言われそうですが、読書というのは、必ずしも決してそのようなアクティブで瞬発的な行為ばかりではないのだと思います。

 むしろ、ゆっくりと何かが沸々と涌き上ってきて、何か複数の体験や言葉が組み合わさって、長い月日をかけてようやく知的関心が芽吹き、やっとその本に向かう背中を押してくれるー 僕の場合、そのような読書は非常にスムーズに進みます。

 では何故、半年先に読む様な本をわざわざ「その時」に買ったのか、と問われると難しいですが、大げさに、もしくはオカルティックに言えば、そこには「予見」の様なものがあるのかもしれません。何か先の未来に対して、無意識的に僅かながらの先鞭をつけたような感じでしょうか。

 

 最後に、個人的にこれはまだ根拠が明確になっていないのですが、「本を買わない」という事は「自らの知的体系を現出させるための本棚を作れない」という事になるのでは無いでしょうか。自らの現時点の知的枠組み、知的体系を三次元的に把握するには本棚、そして本の私物化は必須だと思います。借りた本はたとえ本棚に納めても、いずれ出て行かざるを得ないのですから。

 「自分の「知」は、自宅の本棚、そして外の図書館の本棚にある」という「またぎ越し」では、文字通り体系はバラバラになるのでないでしょうか。もちろん記憶力が良い方なら関係が無いかもしれませんが。

手のうちを完全に明かしたとき、初めてその人は何か書き得るのかもしれない。

 数日前、とあるブログのエントリーが、SNS界隈(といっても小さな領域なのでほとんどの方はご存知ないかもしれません)で中々の反響をもって受け入れられました。

 

  ブログで家族を養えるのか「ブログを挫折しそうな12の理由 というか、もう無理かも」

 http://blog.livedoor.jp/knonnonba8/archives/29760463.html

 

 ブログを始めて数日経ち、早くも飽きがきてしまった事。その理由があまりにも赤裸裸に書かれている事。

 ブログの影響力が実生活に及びそうにない現状、金策のために始めたブログの先が見えてしまった事。

 

 このような哀愁ただよう現状でありながら、妙にたんたんと、突き放した様なコミカルな文体で書かれているので、まるで噺家が語っている様な、何とも言えない味のある文章になっています。この文章の、一種軽薄で、しかし人間味溢れる独特な雰囲気に、多くの人が惹かれたのでしょうか、それ以前の筆者のエントリーに比べ、コメントをたくさんもらい、リツイートも30以上、そしてその後の著者自身の報告によればPVを2万以上獲得したようです。

 

 筆者はそれ以前は、ブログのアクセスアップを図るための戦略を、あらゆる方法で実践した、その経験談のようなエントリーを主に挙げていたのですが、それは多くの人が求める様な「利」になる情報に関わらず、その記事に対するアクセスは、1ケタ、2ケタと全く振るわなかった。

 しかし今回、「もう全く駄目だ」、と全てを赤裸々に吐露し、「利」も何も無い、ほぼ完全降伏してしまったかのような事を正直に書いたエントリーを初めて挙げた時、皮肉にも過去最高の反応が返ってきてしまった。

 

 僕はそんな筆者を全くあげつらうつもりは無いですし、もっと言えば、これ以降、筆者が何を書くのか気になるくらいなのですが(残念な事にこの記事を挙げて以降一回しか更新をされていないのですが)、それはともかく、今回のブログの件に関して、僕が自分の心境と重ね合わせて思ったのが、「自分の手のうちを明かした時に初めて人を惹き付けるものが書けるのではないか」という事。

 

 

 多分、人間というのは誰しもが、相応に「カッコつけ」だと思うのです。友人に対して、異性に対して、世間に対して、常に僕達は内にある「恥ずかしい部分」を隠匿し、社会的に賞賛される様なクールなロールモデルに、自分を無理矢理はめ込んでしまう。「認められたい」「尊敬されたい」「かっこ良くなりたい」という感情をどうしても、押さえ込む事ができない。

 それは僕も全くもってそうです。そしてそれは、ブログに関しても十分に発露しています。すなわち「中途半端な内容はあげたくない!」「誰しもが語らなかった様な独自の視点で書きたい!」という様なもの。ブログを書くという事にたいして、知らないうちに並々ならぬプライドを抱えてしまっていたのです。

 今までに四つのエントリーを挙げましたが、全てに対してロジックの確認は結構しましたし、誤字のチェック、細かな助詞のチェックは何度も何度も繰り返し読んで点検しました。これも、言うなればそのかっこつけ、プライドのようなものでしょう。この場合、そのような矜持も良い方向に働いているのかもしれませんが。

 しかし、それだけではありません。ブログを始めて2週間くらいになりますが、いままでに結構な数の、構想した文章を反故にしています。やはり「内容」が気に入らないのですね。内容に、他の誰かの文章の既視感を感じたりすると、それだけで嫌になってしまう。「これは自分だけのオリジナルな文章ではない!」と、激情が走ってしまうのです。

 しかし、そうやって、肥大化したプライドだけを共に、ブログを続けていくと、どうなってしまうのでしょうか。恐らく、内容は「ご立派」なもので蓄積されていくと思いますが、影では、自分の生の感情から発した、いわゆる「本当の自分」「情けない自分」を必死に隠匿している事でしょう。そうなるとブログ全体は恐らく、味気のない、驚きの無いものになっているに違い有りません。もしかしたら、文章を書く事というのは、自分で自分を隔絶する、「牢獄の格子」を組み立てている様な作業になり得るのかもしれません。

 

 他人に、自分の文章を晒す以上、やはりそれ相応の「見栄」のようなものは避けられないでしょう。人は誰でも裸一貫で自分を表現するのは難しいものだと思います。太宰治は自分の人生をさらけ出して作品としましたが、その結果、自らの感情生活に対して多大な影響を被らざるをえませんでした。

 しかし、結局の所、人間というのはどうしても、官僚的な怜悧な人格ではなく、子供じみた「生の感情」に惹かれざるをえないものです。ブログを書く、という事に対して、今後僕が十分気をつけていきたいのは、ブログを公開する表向きの世間に対し、本来の性格を隠匿してしまう事、その事で自ら破棄してしまう「多くの構想の可能性」。すなわちロジックが破錠していたり、証拠不十分である、と判断しただけで捨ててしまう構想の喪失。

 

 そして上記のブログの筆者のような、「全ての手のうちを明かす」様な、贈与的行為をあくまで心がけること。「明け渡した者」だけにそれ相応のペイが支払われるのです。「堅持する者」に見返りは来ませんよね。

迷ったら、とにかく書けばいいんじゃない?

 ブログを始めてから、まだ、たった3つ程度しかエントリーを書けていないのであれですが、今回は、ブログにおいて、さらに言えば人間活動全体において、とても根源的な「文章を書く」という行為について、考えてみます。

 

 「文章を書く」というのは、とても曖昧なものです。例えばどんなに頭の中で構想が形作られていようとも、いざ原稿に向かうとなると、中々文章として結実しない。頭の中にあるものが具体化されない。それどころか、文章を書き綴っているうちに、いつしか論理の齟齬や、例証の弱さなどが浮き彫りになってきて、とても筋のある内容とは言えなくなってしまう。

 反対に、まったく頭の中で構想ができていなくても、原稿に向かえば何故かすらすらと書き進んでいく事もあるし、書いてる最中に発想が浮かんだり、とても適切な例を思い出したりする事もある。このように、突如どんどんチェーンが繋がるような、発想の幸運に恵まれる事もあります。

 

 つまり「文章を書く」という事は、いつどんな段階においても、どんな状態においても、その品質が保証される事はほとんどない、と、個人的に思うのです。最近は「文章を書く」という事は、時折「文章修行」という風な厳めしい単語を使われる様に、本番において瞬時の対応性を迫られる「武道」のようなものではないか、と思う事さえもあります。(そういえば作家をアスリートの比喩で語られる方がいらっしゃったような。)

 もちろん、完全に計画的に書かれる方もいらっしゃるでしょう。作家であれば太宰治は、奥さんに自分の話す内容を筆記させ、それが寸分違わず小説になった、という話も聞きます。しかし、そのようなケースは相当な理性の元に構想されたものでしょうし、もしくは「才能」と言えるものでもあるでしょう。

 

 このように、「書く」という事が不完全性に満ち、計画性よりもむしろ不計画性の方が勝るのではないか、ならば幸運を待つしかないのか、とも思いがちになり、それゆえ「結局は才能」の一言で片付けてしまいたくなるー そのようなナーバスな感情を抱かせるのが、「文章を書く」という事なのですが(あくまで個人的にですが)、最近ブログを始めて、何か光明を見るように、悟った事があります。それは、「書き上げた物に自分の領域以外のものが表れる事はほとんどない」という事です。

 

 どのような事でしょうか。

 僕はあまり計画的、理性的な人間ではありません。先の三つのブログも、どちらかと言えば衝動的に書き上げたものです。頭の中に構想自体は確かにありましたが、文章の筋はほとんど書きながら作り上げたものです。

 卒論でさえそうだった気がします。提出20日前くらいにようやく本気を出す。A4用紙30枚を、どうやってそのような楽観主義で書き上げたのだろうかと、今になっては不思議になるくらいです。つまり、どちらかと言うとセレンディピティに任せている、せいぜいテーマと、オチ程度を考えているのが文章に対する僕のありったけの管理能力なのです。

 

 しかしそうやって偶然に任せたように書き上げられたものでも、よく読み返してみると、どこをどう切っても「僕の領域から生まれた文章」なのです。つまり、まったく行き着くがままに書いているように見えて、「あ、これは昔ぼんやり思ってた事だ」とか、「そういやこの例証はいい感じに使えるなぁとか思ってたよな」とか、そういうものがほとんどなのです。

  

 僕達は誰でも、それぞれの「思考のパースペクティブ」を持っています。つまり誰しも各々の「物の見方」があるという事。それは積み上げてきた人生の中に、言うなれば出会った本、出会った人物、体験した出来事等に影響され、着実に形成されたものです。そこに些末な知識などを加えていいでしょう。それが丸ごとすべて包めて「今現在の自分の思考領域」なのです。

 

 文章を書く事で、その「今現在の自分の思考領域」が、表面的な所も、もしくは潜在的な所も、浮き彫りにするように把握することができます。例えば二つ前のエントリーで「ラピュタ」についての記事を書きましたが、パズーを人格的なロールモデルとして解釈するのは、僕自身が形成してきたパースペクティブの賜物と言えるでしょう。

 当初は「ラピュタ」について何か書こうと思っていましたが、テーマは決めていませんでした。大体3時間くらいパソコンに向かって自由に打ち込んでいたものですが、完成した内容はほとんど自分が考えてきた事、その結晶体と呼べるようなものでした。そこに自分の思考領域内のものはあっても、ほとんど外れたようなものはありません。全て自分の辿ってきた痕跡が、そこに明確に書かれてあったのです。

 

 と、いうわけで、僕は今文章を書く、という事に対して以前より悠長な、もしくは余裕のある姿勢で向かえています。「文章を書く」というのは「怖い」、自分の無知さが明るみになる事もある、曖昧だ、どう帰結するかも分からない、計画的に行かない、それならむしろ書きたくないと、以前は必要以上にナーバスになっていました。

 しかし、結局「書くという事」は、自分の付けてきた痕跡を、また振り返って辿っていくだけ、という事でもあるのだと思います。それは自分の思考の確認作業とでも言えるでしょう。ならば、掲げたテーマに対して必要以上に奇抜な事を考えたり、奇特な発想をする事などしなくていいのではないでしょうか。

 今現時点で書き出せるものは、全て自分が体験してきた事、考えてきた事。それ以上でもそれ以下でもない。自分のパースペクティブが、テーマに対して、自分の記憶から適切なエピソードや例を引っ張りだしてくれる。それが自然と組み合わさってきて、次第にゆっくり結晶化していくー。

 

 もちろん現時点での思考、だけを最優先しているわけではありません。ロジックをさらに構築していく事や、他者のパースペクティブを組み合わせて思考を展開させる事も重要でしょう。

 自分の書いた文章のあまりにも稚拙な思考に戸惑う事もあるでしょう。しかしそれが「現時点での思考」なのです。それ以上でも、それ以下でもありません。

 

 迷ったらとにかく書く。そこに自分のパースペクティブや知識が明確に照らし出される。と、なると、文章を書く事が楽しくなってきます。自分が何を考えているか、どんな思考の枠組みがあるか、何を知らないか、明確に見えてきます。もしくは、自分が忘れている、「過去の自分」に、会える様な気さえしてくるのです。 

 

 と、つれづれなるままに、無計画に書いてみました。

“斎く”場所ならどこにでもある。 【書評】海野弘「書斎の文化史」

 「勉強する」または「モノを書く」という事が、「スタディ・ルーム(書斎)」で主に行うものだ、と大まかに決められたのはいつの時代なのでしょうか。

 

 全ての人が、スタディ・ルーム、書斎を主に知的活動の拠点にしているわけではありません。例えばフィールドワークを主にする民俗学者や文化人類学者は、移動中のトラックの中でガタコト揺られながらパソコンを打ち込んだりするでしょうし、または、空想じみた想像ですが、真夜中、焚き火の前で古老の話す昔語りにメモを走らせる、そんな事もあるでしょう。

 作家でさえ例外ではありません。有名な話ですが江戸川乱歩は土蔵の中に籠って小説の執筆をしていたと聞きますし、宮沢賢治は、東北岩手の大自然の中を闊歩しながら詩想を膨らませ、手帳の中に詩や、小説の構想を書き溜めていました。

 

 「書斎の文化史」の著者、海野弘も、具体的に書斎のイメージを固定するのではなく、まず「書斎」という言葉に着目し、根源的に考察を始めます。

 

 「書斎という言葉について考えてみることにしよう。これは書のための斎である。斎というのは、「ものいみ、神仏を祭るとき、飲食や行いをつつしんで汚れを去り、心身を清めること」と漢和辞典にはある。斎はものいみをして、こもる部屋なのである。斎というのはどういう字かというと、示が意味をあらわしている。示というのは、神にいけにえを捧げ、神のお告げを聞くことである。」

 

 著者は「斎」という神道の用語に注目し、「書斎」の持つ精神性、または「宗教性」に言及します。

 

 「私たちは、書斎にこもり、まわりの環境を遮断して瞑想にふけり、(示)すなわちインスピレーションを受けとる…このように、書斎は、なにかを断って、閉じこもる所のようだ。」

 

 江戸川乱歩が土蔵にこもったり、宮沢賢治が自然の中を駆け巡った様に、著者は、その「精神的に閉じこもる所」を“限定”しません。確かに「精神的に閉じこもる」だけなら、空間としての書斎は絶対的に必要ではないでしょう。風呂の中でモノを考えたり、路上の雑踏の中で社会を憂いたり、車を走らせながら物思いに耽ったり、または孤独な山の中で瞑想状態の様になったり…いうなれば、集中して物を考えるという事ならユビキタスに「書斎」足り得る、という事になるのではないでしょうか。(利便性や機能を考えれば話は別ですが)。

 

 著者はその「斎く」場所、としての書斎の起源を、ネアンデルタール人の暮らした「洞窟」の中に見いだします。紀元前3万年から1万年にかけての旧石器時代後期に、フランスのラスコー洞窟に描かれた動物の壁画は有名ですが、この壁画が洞窟の奥深くに描かれたこと(当時の洞窟内での生活圏内はほとんど出入り口付近のみ)を挙げ、「日常的な労働の場とは違った秘密の場所に、芸術が創造された」事は、「書斎の誕生」を意味するのではないか、と考えます。

 

 「私は、その秘密の洞窟を、旧石器人が食堂や寝室といった生活空間のかなたにつくった書斎であると想像するのだ。彼らは、日々のいそがしい生活のうちで、孤独で、思索的な時間と空間を求め、石のランプを手に、奥へ奥へと入ってゆくー

 明日捕らえるであろう牛をイメージ化する想像力が芸術を誕生させる。現実の牛は二重化されてイメージが分離されるのだ。それはまた、現実の生活の場から、精神的、想像的な場を分離させることにつながっている。こうして書斎が生まれるのである。」

 

 著者は、この「書斎空間の誕生」をさらに大きな文脈で結びつけます。洞窟という「書斎」を、「死と再生、変身、誕生」といった神話学的な生成構造として捉えます。

 

 「ネアンデルタール人のような原人が、私たちの直接的な先祖であるホモ・サピエンスとなるには、洞窟にいったんこもって、再生しなければならなかったろう。そこで日々の生活を離れ、動物の世界を遍歴し、新たな知を持って人間世界へ帰還してくるのである。芸術という新しい知の誕生には洞窟という書斎が必要だったのだ。それが誕生した後は、もう洞窟は必要ではなかったのである。」

 

 「書斎」とは、物事がダイナミックに生成するいわば「死と再生」の場所であり、人はそのために、洞窟の中に入っていく様に書斎に「籠る」という事、その精神的に深く潜っていくような「籠もり」こそ、以前の段階から抜け出し、新たな創造を生み出すための大事な過程なのだ、旧石器時代の洞窟から始まり、このような延長線上に現代の「書斎」というものはあるのだ、と、著者は結論づけます。

 

 「書斎」は限定化されたものではありません。厳めしい本棚、立派な机、生産的に優れた機能の空間は決して必要ではありません。人が、何事かに集中するという事ができさえれば、洞窟でも、土蔵でも、森の中でも、それは立派な「書斎」足り得るのです。

 願わくば、現代のスターバックスに、ネットカフェに、もしくはフィギュアが乱立するような若者の部屋に、死と再生が生起する現代の書斎、“斎く”場所があらんことを。

「パズー」という実践的ロールモデル ー空高く地深く往還する精神

 先のエントリーで、「アカデミズム・フェティシズム」と言うべきような、文系的な研究環境に対する偏愛のようなものを、渡部昇一の本を挙げて書き綴りましたが、この本に出会うずっと以前に、そのフェティシズムの萠芽ともいうべきようなものが、ある「人物」を知り、芽生えました。

  

 「彼」は、底深い渓谷沿いに一人、居を建て、炭坑で働きつつ、働くと同時に、どうやら何か研究をしているらしいー 家の中の生活環境の中に、研究成果やその知的営為の後が散見できるー その研究は、彼の「父親」から受け継がれたとも言うべき「夢」のようなもので、その実現に向けて探求と実践を繰り返している。

 「彼」は独自でその研究を進めつつ、それでも独立した研究者がなりがちな頑迷や孤独に堕する事は無く、同じ労働を共にする仲間や、その家族と仲睦まじくしながら日々労働を全うしている。そんなある日、偶然の風に吹かれたように少女を助ける事になるー

 

 もうお分かりでしょうが、これはアニメ映画「天空の城ラピュタ」のパズー少年です。

 メリハリの効いたストーリー、見ているだけで楽しいアクションなど、今ではすっかり日本を代表するアニメーション映画として定着していますが、僕はこのパズーに、言うなれば「知的実践者としてのロールモデル」をずっと見出していました。すなわち、「ものを書く事や、何かを作るという意味で、パズー程その理想的な実践を示してくれる人物はいない」という事です。

 

 先程述べた「アカデミズム・フェティシズム」の観点から言わせると、静かで穏やかな渓谷の側に自らの研究、製作環境があってそれに打ち込めるなんて、なんと羨ましい事か、と思わざるをえません。映画を見ていらっしゃる方ならご存知かと思いますが、あの冒頭の、屋根でラッパを吹くシーンはなんとも素晴らしい。パズーと、その彼の生活環境の「開放性」を感じさせてくれます。この環境で、パズーは存分に知的に羽を伸ばす事ができたのではないでしょうか。

  環境の話だけではありません。ある日偶然パズーは、飛行船からはるか空高く落ちてきたシータを助けます。そこから物語はなだらかに加速していくのですが、僕は「研究の実現に向かうためのトリガー」のようなものが、このように全くの偶然によってもたらされた、という事にとても感興を覚えます。もし彼が落ちてきた少女に気にも留めなかったら(あれだけあからさまに落ちてきてて、そんな事はありえないかもしれないけど)、彼の日常は空に飛翔することはなく、そのまま炭坑に縛り付けられていたかもしれません。

 モノを作るという意味でも「発見」や「気づき」は、必ずしも論理的思考や万全とした計画性から導きだされるという訳ではなく、全くの偶然から見いだされる事も少なくありません。僕達もパズーの様に、どんなに自らの領域と関係が無いように思えても、ある日突然来る「空から降ってくる少女」を無視してはならないのです。

 

 そして僕が一番、パズーに見いだすのはその「知的旺盛さ」または「知的逞しさ」です。パズーはとにかく顔が利きます。鉱山の仲間からはとても慕われていますし、基本的にどんな人間とも親しくできます。

 彼を彼たらしめているものは、その「誰であろうとも親しくでき、話がきける」という性格です。これは僕は「知的正直さ」とも呼びたいと思います。どんな環境の、どんな人間でも分け隔てなく接し何かを学びとろうとする。

 その相手の最たる例が、物語の途中で登場してくる「ポムじいさん」と、後に目的を同じくする空中海賊の「ドーラ一家」。これは構造的に把握してみると分かると思いますが、物語の舞台において最も下層な廃坑にいるポムじいさん、そして最も上層にいる事になるドーラ一家。「ラピュタ」というパズーの幸福な物語は構造上この両極端にいる二者の存在が必要不可欠でした。「ポムじいさん」という最も下層な位置にいながらも、物語のキーとなる根源的事実を呈示してくれるアドバイサーに促され、「ドーラ一家」という上層にいて荒々しくも気っ風の良い人々に助けを借りて、とうとうラピュタ到達という成果に結実する事に成る。それは、収縮から拡散へ、観念から具体へ、何か人間の思考プロセスを象徴的に見るようです。

 その事を可能にしたのは、全てパズーの「知的に開かれた姿勢」にあるでしょう。もしポムじいさんを、廃坑を彷徨う浮浪者として軽重にあしらったり、荒々しいドーラ一家達に最後まで反発するような事があったら、ラピュタの物語は決して動き出す事はなかったでしょう。僕達は何かを作りたいなら、必ずこのパズーのような、「上下にダイナミックに往還する精神」を失ってはいけません。

 

 モノを作る事や何か研究する事に行き詰まっているのなら、「ラピュタ」を観てみましょう。そこには、少年パズーの何よりも素晴らしい精神の闊達さ、ロールモデルがあります。そして、自分の「シータ」とは何か、「ポムじいさん」とは誰か、「ドーラ一家」とは誰か、もう一度振り返ってみましょう。どんな人にも、それぞれの「ラピュタ」はあるのですから。

静かな部屋と、カルタイ・カステン。 【書評】渡部昇一「知的生活の方法」

 英語学者の渡部昇一さんが、30年以上前に書いた「知的生活の方法」 という、僕の大好きな本があります。

 

 多くの方がビジネス本や、知的生産技術系の本を手に取るのと同じ様に、僕もこの本を、自分の研究活動に役立てられないだろうか、という実利を求める動機で、大学3年の時に購入しました。

 

しかし期待は良い意味で裏切られます。もちろん全編に渡って、いわゆる「知的生産の技術」が、研究方法から食生活に至るまで、あらゆる観点で渡部自身の経験と共に論じられていくのですが、そういったテクニカルな面以上に、僕が何よりこの本に感じ取ったのは、「アカデミズムの香気」とも言うべき、なんとも艶やかな学問、研究世界の素晴らしい雰囲気です。

 

 市井にいながら才気煥発とした「恩師」佐藤順太先生の紹介に始まって、漱石の幼少時代におけるその文学センス形成にまつわる話、「贅沢」より本を選んだギッシングの話、城の中で植物学の研究や詩作に没頭するゲーテの話等、「ものを書く(創る)」事に少しでも携わる人ならば誰しもが心打震えるような、知的営為者の「英雄譚」とも言うべきエピソードが次々と紹介されていきます。

 

 そして僕が何より感興を得たのが、著者自身のドイツ留学時代の話。当時「ヨーロッパ諸国の国語の文法の発生」を研究テーマにしていた著者ですが、担当教授の「シュナイダー先生」に、その扱うテーマの広範さを指摘されます。先生はいくつかアドバイスをしますが、それでも著者の研究はその後も思う様に前進しません。

 ある日、著者は先生の夕食に誘われます。その席で先生は「カルタイ・カステン(カードボックス)を買いなさい」とアドバイスします。本の内容、気付いた事、考えた事、とにかく何でも良いからカードに書いてそのカードボックスに入れていく。

 「そうすれば」研究の核とも言うべき論点が見つかり、論文の出発点を得る事ができるだろう…とシュナイダー先生は教えてくれます。

 

 そのアドバイスに従い、その後著者は見事、書き溜めたカードの中から文法学の大家が書いた書物の欠陥部分を発見し、そこから300ページに及ぶ学位論文を書き上げるのですが、ともかく「カルタイ・カステン」という印象的な響き、そして本の中に添付されてある、木で作られたドイツ製のカルタイ・カステンの工芸的美しさ、そして「小さな静かな部屋とカードボックスがあれば、ひとかどの仕事ができる」と断言する著者の実感を伴った力強い言葉。全てが、「何かモノを書いてみたい!」「研究とはなんぞや?」という大きいテーマに押しつぶされて呻吟していた当時の僕に、あまりにも鮮烈に突き刺さりました。

 

 

 この本が出版されて30年以上経ち、いまや知的生産の技術は相当に発展してきました。それを拡張してくれるアプリやクラウドサービスの登場など、情報産業がますます隆盛する今の時代において、今後も知的生産に関わるメソッドは、手を変え品を変え頻出してくるでしょう。

 「知的生活の方法」は、古き良きアカデミズムの「おとぎばなし」の様な世界を見せてくれます。整然とした書斎、秩序に満ちた古代の図書館、夢と本で溢れた学者の屋根裏部屋、ドイツアカデミズムの品の良さ、工芸作品かと思えるような「カルタイ・カステン」…。僕が味気ない自分の部屋で思案をめぐらせ、メモを書き、文章を打ち込む時にいつも思うのは、このなんとも厳粛で、それでいて心地いい、香気溢れる世界です。