“斎く”場所ならどこにでもある。 【書評】海野弘「書斎の文化史」

 「勉強する」または「モノを書く」という事が、「スタディ・ルーム(書斎)」で主に行うものだ、と大まかに決められたのはいつの時代なのでしょうか。

 

 全ての人が、スタディ・ルーム、書斎を主に知的活動の拠点にしているわけではありません。例えばフィールドワークを主にする民俗学者や文化人類学者は、移動中のトラックの中でガタコト揺られながらパソコンを打ち込んだりするでしょうし、または、空想じみた想像ですが、真夜中、焚き火の前で古老の話す昔語りにメモを走らせる、そんな事もあるでしょう。

 作家でさえ例外ではありません。有名な話ですが江戸川乱歩は土蔵の中に籠って小説の執筆をしていたと聞きますし、宮沢賢治は、東北岩手の大自然の中を闊歩しながら詩想を膨らませ、手帳の中に詩や、小説の構想を書き溜めていました。

 

 「書斎の文化史」の著者、海野弘も、具体的に書斎のイメージを固定するのではなく、まず「書斎」という言葉に着目し、根源的に考察を始めます。

 

 「書斎という言葉について考えてみることにしよう。これは書のための斎である。斎というのは、「ものいみ、神仏を祭るとき、飲食や行いをつつしんで汚れを去り、心身を清めること」と漢和辞典にはある。斎はものいみをして、こもる部屋なのである。斎というのはどういう字かというと、示が意味をあらわしている。示というのは、神にいけにえを捧げ、神のお告げを聞くことである。」

 

 著者は「斎」という神道の用語に注目し、「書斎」の持つ精神性、または「宗教性」に言及します。

 

 「私たちは、書斎にこもり、まわりの環境を遮断して瞑想にふけり、(示)すなわちインスピレーションを受けとる…このように、書斎は、なにかを断って、閉じこもる所のようだ。」

 

 江戸川乱歩が土蔵にこもったり、宮沢賢治が自然の中を駆け巡った様に、著者は、その「精神的に閉じこもる所」を“限定”しません。確かに「精神的に閉じこもる」だけなら、空間としての書斎は絶対的に必要ではないでしょう。風呂の中でモノを考えたり、路上の雑踏の中で社会を憂いたり、車を走らせながら物思いに耽ったり、または孤独な山の中で瞑想状態の様になったり…いうなれば、集中して物を考えるという事ならユビキタスに「書斎」足り得る、という事になるのではないでしょうか。(利便性や機能を考えれば話は別ですが)。

 

 著者はその「斎く」場所、としての書斎の起源を、ネアンデルタール人の暮らした「洞窟」の中に見いだします。紀元前3万年から1万年にかけての旧石器時代後期に、フランスのラスコー洞窟に描かれた動物の壁画は有名ですが、この壁画が洞窟の奥深くに描かれたこと(当時の洞窟内での生活圏内はほとんど出入り口付近のみ)を挙げ、「日常的な労働の場とは違った秘密の場所に、芸術が創造された」事は、「書斎の誕生」を意味するのではないか、と考えます。

 

 「私は、その秘密の洞窟を、旧石器人が食堂や寝室といった生活空間のかなたにつくった書斎であると想像するのだ。彼らは、日々のいそがしい生活のうちで、孤独で、思索的な時間と空間を求め、石のランプを手に、奥へ奥へと入ってゆくー

 明日捕らえるであろう牛をイメージ化する想像力が芸術を誕生させる。現実の牛は二重化されてイメージが分離されるのだ。それはまた、現実の生活の場から、精神的、想像的な場を分離させることにつながっている。こうして書斎が生まれるのである。」

 

 著者は、この「書斎空間の誕生」をさらに大きな文脈で結びつけます。洞窟という「書斎」を、「死と再生、変身、誕生」といった神話学的な生成構造として捉えます。

 

 「ネアンデルタール人のような原人が、私たちの直接的な先祖であるホモ・サピエンスとなるには、洞窟にいったんこもって、再生しなければならなかったろう。そこで日々の生活を離れ、動物の世界を遍歴し、新たな知を持って人間世界へ帰還してくるのである。芸術という新しい知の誕生には洞窟という書斎が必要だったのだ。それが誕生した後は、もう洞窟は必要ではなかったのである。」

 

 「書斎」とは、物事がダイナミックに生成するいわば「死と再生」の場所であり、人はそのために、洞窟の中に入っていく様に書斎に「籠る」という事、その精神的に深く潜っていくような「籠もり」こそ、以前の段階から抜け出し、新たな創造を生み出すための大事な過程なのだ、旧石器時代の洞窟から始まり、このような延長線上に現代の「書斎」というものはあるのだ、と、著者は結論づけます。

 

 「書斎」は限定化されたものではありません。厳めしい本棚、立派な机、生産的に優れた機能の空間は決して必要ではありません。人が、何事かに集中するという事ができさえれば、洞窟でも、土蔵でも、森の中でも、それは立派な「書斎」足り得るのです。

 願わくば、現代のスターバックスに、ネットカフェに、もしくはフィギュアが乱立するような若者の部屋に、死と再生が生起する現代の書斎、“斎く”場所があらんことを。