本は借りるのではなく買おう、さもなくば街に出よう。

 僕は大抵、目に付けた本は、買うことにしています。

 今年に入ってからも、恐らく50冊以上はAmazonを経由して本を購入しているでしょう(そのほとんどが中古本なので総額自体は大したものではないですが)。本に対する情報を得たら、その内容を点検して、買うべきだと判断したら必ず買う。そこに「借りる」という選択肢は存在しません。

 よっぽどの高価な本であったり、閲するべき部分が一部である本の場合なら、さすがに購入するのを控えますが(あと単純にお金が無い時)、大抵の、買うと決めた本は必ず買う様にしています。

 これは複数の著作家の言葉をずっと大昔に、恐らく高校生の頃に真に受けて、それを頑なに守り続けているからですが、その「複数の著作家」が主張した、「何故本は借りてはいけないのか。なるべく買うべきなのか。」の理由を、実はと言うと今は完全に失念してしまっています。つまり理由が失われて慣習だけが残っている、伝統儀礼の様な状態になってしまっているのです。ずーっと昔に思い立って、今では完全に「クセ」になっている、という事ですね。だったら、そろそろ辞めてもいいんじゃないか。

 しかし思うのです。やはり「本は借りるのではなく、買うべき」なのだと。買わないのはもちろん、借りる事さえも、それは必ず「何か」を欠落させてしまう行為なのだと。

 失われた根拠を埋めるべく、2、3点個人的な私見を述べてみましょう。

  

 まず「買う」事以上に、「借りる」事のデメリットを考えてみましょう。本が「借り物」の場合、その本は公共物(もしくは他者の物)であり、読む事以外、何も作用を加えてはいけない事になりますよね。これは当然だ、と思われるかもしれませんが、実はかなりの痛手を被っていることになります。すなわち「書き込む事ができない」という事。

 本に対して「書き込み」ができないというのは、自分の思考の反応感度を実体化できない、という事だと思います。本の中のどの文章に対してどのような気づきを得たか、大事な論点だと思ったか、これを明確にしておく事はとても大事。本は一過性で読むだけでなく、後で参照するものなので、この様に目印を作る事はとても重要です。

 さらに、そうして、たくさんの書き込みに溢れた本の中には、他人からは見えない「履歴」の様なものが確かに残ります。自分がこの本に対して、ある一定期間の中でどのように、どれだけコミットしたか、その段階の過程がなんとなく分かるのです。これはちょっと分かりにくい表現ですが、「自分の頭の中でその本をどのように「編集」していったか、その作業過程が残る」と言ってもいいでしょうか。

 

 そして、これはちょっと逆説的で面白い視点ですが、私有の本が無いと、「積ん読が作れない」という事でもあると思います。

 個人的な事を正直に言いますと、冒頭で、今年に入って50冊以上買った、というような壮語をしてしまいましたが、多分その半分も読破できていません。さらに今年の本だけでなく、一年前、二年前…と、昔買った本にも読めていないのがたくさんあります。積ん読の山ができてしまっているんですね。

 通常、積ん読は決して歓迎されるようなシチュエーションとは見なされません。怠慢、先延ばし、無駄遣い…と、そのような行動パターンの文脈から捉えられる事が多いです。

 しかし、本をどんなに積もうと、「読む時には必ず読む」のです。最近とある本をやっと読了しましたが、それは確か半年前くらいに買った本でした。「なぜ買ってすぐ読まないんだ」と言われそうですが、読書というのは、必ずしも決してそのようなアクティブで瞬発的な行為ばかりではないのだと思います。

 むしろ、ゆっくりと何かが沸々と涌き上ってきて、何か複数の体験や言葉が組み合わさって、長い月日をかけてようやく知的関心が芽吹き、やっとその本に向かう背中を押してくれるー 僕の場合、そのような読書は非常にスムーズに進みます。

 では何故、半年先に読む様な本をわざわざ「その時」に買ったのか、と問われると難しいですが、大げさに、もしくはオカルティックに言えば、そこには「予見」の様なものがあるのかもしれません。何か先の未来に対して、無意識的に僅かながらの先鞭をつけたような感じでしょうか。

 

 最後に、個人的にこれはまだ根拠が明確になっていないのですが、「本を買わない」という事は「自らの知的体系を現出させるための本棚を作れない」という事になるのでは無いでしょうか。自らの現時点の知的枠組み、知的体系を三次元的に把握するには本棚、そして本の私物化は必須だと思います。借りた本はたとえ本棚に納めても、いずれ出て行かざるを得ないのですから。

 「自分の「知」は、自宅の本棚、そして外の図書館の本棚にある」という「またぎ越し」では、文字通り体系はバラバラになるのでないでしょうか。もちろん記憶力が良い方なら関係が無いかもしれませんが。