人生は、「人には言えない事」を分かち合うためにある、って話。

 お気楽で能天気な僕にも、後悔、悲しみの類いが、それなりにあるんです。

 

 そういうのは大抵、人間関係に起因しているんです。宝くじが当たらなかったとか、美味しい物が食べられなかったとか、そういう様な、事象で完結してる様な事はすぐ忘れてしまいますが(笑)、 「あの人」と上手く喋れなかったとか、もっと本音を語りたかったとか、なぜあの時何も言えなかったんだろうとか、もっと遊びたかった、もっと喋りたかった、悪態の一言でもついてみたかった、下の名前で呼んでみたかったとか…こういう人間関係に発している「したかったけどできなかった後悔」の様なものは本当に、「腹の底にたまっていく」様に、未だ消し得ない悲しみとして、残っているんですね。

 

 僕は、「男子たるものクールであれ」っていう価値観をわりと最近まで信じてた口で(笑)、あまり自分の本音を出さないタイプだったんですが、最近この「クールであれ」という価値観は、「男子たるもの」だけではなく、ますますその領域を広げている様に見えてなりません。若者、大人、子ども…あらゆる立場の人が「クールであれ」をいつの間にか信条にしてしまっている様に思えるのです。

 僕はこの分野の専門では無いので分かりませんが、すっごく抽象的に自分の考えを述べると、今の日本人の生活の最優先に「社会的な秩序」というものがあって、それを守るためには「決して私情を出して秩序を乱してはならない」「そのためにはクールであれ」っていう空気があると思うんです(考えすぎかな)。

 そしてもう一つ、人のプライベートに極度に干渉しないという価値観が最近高まりつつあるでしょう?これは恐らく、日本人一人一人が共同体から解放されて文化的に分化し、物質的にも満たされて自己の生活に対する尊重感が高まったから、だと思うのですが、となれば当然「(人に対して)クールであれ」っていう価値観が育ちますよね。あまり深く干渉すると怒られるから、なるべく他人の私的領域には触れない様に、でも社会的な繋がりだけは大事だから、そこだけは、生かさず殺さずにしておくように。うーん、社会人になったら友達ができなくなるってのは何となく分かってきますね。

 僕はこの「社会秩序、プライベートを守るためにクールであれ」価値観の究極の表象が、SNSフェイスブックだと思ってる節があるのですが(笑)、それはさておきこのように、何か上滑りする様な、表面をなぞるだけのコミュニケーションが、ずっーと日本人の基調音としてあると思うのです。

 僕は多分、大人になるに従って、無意識にこの「クールであれ」空気をたくさん吸い込んでしまったのでしょう。それをどこで学んだか分かりませんが、ともかくいつの間にやら、「まぁまぁ社会的秩序はそれなりに守る」、でも「パッションのある人間関係は築けない」、そんな感じの、不機嫌な顔をした「しょぼくれた奴」になってしまっていたんですね。

 

 でも、人の心というのは、どんなに社会的ルールが変わっても、変わる事はないでしょう。昔の人が悲しみを感じた様に、今の僕達だって、それなりに悲しみを感じる事もある。一人じゃどうしようもできない事を、偶然の災禍の様に抱え込んでしまう時だってある。人に話して解消したい事だって、沢山ある。でも、そこでも「クールであれ」価値観が頭をもたげて、「そんな馬鹿な事言ってないで、お前は黙って社会的にやるべきことをやれ」って言ってくるんですね。うーむ。

 

 

 でもそうやって、「人に言えない事」「誰にも言えない事」を隠匿し続けて生まれた悲劇って、本当にたくさんあるんです。物語の古典とかをひもといても分かりますが、そうやって秘匿し続けた果ての人間関係のこじれとか、そういうものを書いた物語は本当にたくさんある。そしてその全ては、「正直に言えなかった」事に生じているんです。人間関係は代償的に壊される代わりに、社会的秩序は保たれる。そんな話は、どこにでもありますよね。愛の言葉すらろくに交わせず死んだ恋人同士の話もあるんです。

 

 人生は絶対、「人には容易に言えない事」をばんばん言った方が、楽しい。自分の名前だって、名字で言われるより名前で言われる方が、「祝福されてる」ような感じがするでしょう?

 そして何より、「人には言えない事」を言うというのは、人への信頼の表出なのです。薄っぺらい社会的秩序や、プライバシー感覚なんてのを飛び越して本音を打ち明けるというのは、それだけで素晴らしい行為なのですね。そして「人には言えない事」を聞くというのは、すなわちそれを受け止める優しさなのです。人生は「人には言えない事を分かち合う」、このためにあるではないでしょうか。

 「誰にも言えない事」を墓場まで大事に抱えていく、というのはあまりにも寂しすぎます。棺に入れるのはその人にとって大切な物だけで結構なのですよ。